浅野耕月堂初代久太郎は「おたま」という菓子屋を営む傍ら、雅号を「耕月」と名乗り、華道や茶道、日舞や和歌など季節の風物を愛する人でした。 明治32年(1899年)、久太郎は屋号を「おたま」から「浅野耕月堂」と改めました。 同時に、松林に自生するきのこ松露(しょうろ)を模った菓子を考案し、 この菓子に「松乃露(まつのつゆ)」と名付けました。 傘もなければ足もない、小さな卵形の松露に土がかぶさった様子をコーヒーの粉を振りかけたことで表現しましたことは当時、 実にハイカラだと評判でございました。
昭和22年(1947年)、 昭和天皇陛下が芦原温泉開花亭様にご宿泊されました折には、 お茶請け菓子としてだされた「松乃露」のお代わりを御所望されたと伺っております。 たいそうお気に召されたご様子で、お帰りの際にはお土産にとお買い上げ賜りました。
昭和37年ご来福当時の新聞には、香淳皇后陛下が浩宮親王殿下(今上陛下)にお土産としてお買い求め賜りましたことが記載されています。また昭和43年(1968年)には、 当時皇太子殿下、皇太子妃殿下でした上皇上皇后両陛下がご来福され、 浩宮親王殿下(今上陛下)のお土産にとお買い上げ賜っております。 以降、度々ご注文の栄誉を賜っておりますことは当店の誇りにございます。
「松乃露」は、卵白と砂糖のシンプルこの上ない菓子でございますので誤魔化しが効きません。 原材料には厳選した新鮮な素材を使っており、また食品添加物類を使用しないというこだわりを持っております。 その製法につきましても一切の妥協を許さず、手作りの味を守り続けております。
明治・大正・昭和・平成そして令和と時代が大きく移りゆく中、伝統を守り続けることはそうたやすいことではございません。 それだけに 「口の中に入れれば忽ち広がる上品な甘さの愛くるしいお菓子」 「抹茶から珈琲、ブランデーまで幅広く合わせることの出来る伝統菓子」 「どこかなつかしいのにモダンな味わい」と、 常に多くのお客様よりご賞賛いただいておりますことがなにより、私共の喜びであり糧となっております。
「松乃露」は熟練した職人の手仕事でしか成し得ない、繊細な菓子でございます。 それゆえ大量生産には向いておりませんことをどうかご了承下さい。 作り置きもしておりませんので、一日にご用意出来ます数には限りがございます。 お受取日にどうか余裕を持ってご注文いただけますよう重ねてお願い申し上げます。
一粒一粒真心込めております当店の滋養銘菓「松乃露」をどうぞご賞味下さい。